ダムの洪水調節効果は?

 ダムは洪水調節に有効であるといわれる。洪水流のピークをダム湖に貯留することによってダム下流への流量を低減するという機能を頭では理解できる。実際の大洪水に、現実に造られたダムがどれほど役に立っているのだろうか。

(吉野川の早明浦ダムの例)

 六年前に、四国の吉野川を一人で簡単な調査をしたときの資料による。巨大なコンクリートダムが印象的であった。早明浦ダム有効貯水量2.9億m3(手取川ダムの約1.5倍)。計画の洪水調節機能は、4,700m3/sを2,000m3/sに低減するものである。
昭和50年に大洪水があった。ダム流入量は、7,240m3/sに達し、最大放流量2,500m3/sであった。その差4,700m3/sの洪水調節ができた。建設省の担当官がパンフレットを手に得意げに説明してくれた。
ダムが無かった場合を考えてみる。ダムから50km下流の池田までは渓谷であり、氾濫はあまり問題にならない。それから、40km下流の岩津までは両岸が少し開けているが、大きな谷状の真ん中を川が流れており、氾濫により大きな被害は起こらない。岩津地点からは徳島平野の扇状地が広がっている。ここで氾濫すれば、大きな被害が発生する。
 岩津地点の洪水量の観測記録は、10,480m3/sであった。仮にダムが無くて4,700m3/sの洪水調節が無かったとして単純にピークを加算すると、15,180m3/sとなる。岩津地点の流下能力(計画流量)15,000m3/sとほぼ同じとなった。180m3/s程度は誤差の範囲と考えると、ダムが無くても氾濫はなかった。つまり、ダムは役に立たなかった。

(手取川ダムの例)

 有効貯水量1.9億m3。計画の洪水調節機能は、2,400m3/sを1,600m3/sに低減するものである。昭和56年(1981年)に完成した。平成10年9月22日台風7号による洪水は、大きな被害をもたらした昭和9年7月11日の大洪水と同程度の規模だったという。ダム湖へ流入したピーク時の水量1,300m3/s、全量を貯留した。その時の鶴来地点(ここから扇状地が広がる)で2,800m3/sであった。ダム無しとすると、ピークを単純に加算して、4,100m3/sとなる。鶴来地点の流下能力は5,000m3/sであるので、ダムが無くても氾濫はなかった。つまり、ダムは役に立たなかった。

犀川ダムの例

 有効貯水量0.12億m3。計画の洪水調節機能は、570m3/sを220m3/sに低減するものである。昭和40年(1965年)に完成した。平成10年9月22日台風7号による洪水では、ダム湖へ流入したピーク時の水量533m3/s、ピーク放流量は96m3/sであった。犀川大橋基準点のピーク流量は352m3/sであった。ダム無しとすると、ピークを単純に加算して、789m3/sとなる。犀川大橋基準点の流下能力は1,230m3/sであるので、ダムが無くても氾濫はなかった。つまり、ダムは役に立たなかった。

暫定的な役割は確かにあるが、

 いずれの例でもダムが無くても川の流下能力内におさまっており、ダムの洪水調節機能が働き、洪水が防止されたとはいえない。ただし、いずれの例も河川の拡幅等の改修工事が完了して、すべての区間で計画の流下能力があるとみなされた場合である。実際は、河川の改修工事は数十年の長期にわたって行われており、計画の流下能力を満たさない区間は多い。したがって、その間におけるダムの洪水の調節は有効であるのは疑いないところであろう。
 河川の改修が終われば、ダムは必要なくなるのではないか。暫定的なものではないか。いや役に立つと主張するかもしれない。その証拠を早く確認したいものである。

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