【投稿】行政と議会への警鐘=大きな付帯意見の重み 
                    渡辺 寛(ナギの会代表)


 金沢市監査委員の決定を読み、検討してみた。
 中氏の監査請求は、技術者らしく、開発された水の需要と供給の面から問題提起をしたものだ。
 まず、中氏の請求趣旨を確認しておこう。
1 工業用水にかかわる費用は―般会計ではなく、工業用水の使用者が負担するべき「工業用水特別会計」より支払うべきである。
2 工業用水は今後も使われる見込みがなく、水利権を放棄、転用すべきである。
3 工業用水に対して負担金支払いは、公金の不当な支出に当たる。
 これに対して、1、3は手続き上問題はないとして棄却。2は行政の裁量権の範囲として却下となった。

 今回の決定は、中氏の指摘について正面からの監査を避け、主に地方自治法と地方公務員法などから、手続き問題に矮小化し、「市長の政策的判断にかかわること」つまり裁量権の範囲だとしているが、河川法上重大な疑義がある問題と市長の裁量権の範囲を明確にしなかった稚拙な決定だったと思う。しかし決定は、最後に「付言」なる付帯意見をつけた。
「なお、本請求における工業用水については、当初の計画と現在までの実績とがかい離している顕著な例である」と。
 この「かい離している顕著な例」という指摘は、河川法上の「未利用水利権=遊休水利権」の存在を認めたものと言え、本来ならば監査の中で河川法からも検証、解明し行政の裁量権の範囲なのか、あるいは逸脱しているか、濫用はなかったのかどうかを判断しなければならなかったのである。中氏は、請求にあたって河川法上の議論を避けたのは、氏の技術者としての「良心」によるものであろうが、監査のなかで吟味してほしかったと思う。
 また「付言」は、次のように指摘する。
「市長は、今後、このような計画と実態とに大きくかい離が生じていくものについては、その事実又は事態を充分に認識され、適時、適切に、その解決に向け努められるよう付言する。」
 ここでは、市長に「適時、適切に解決せよ」と明確に述べているのだが、もし、この状態を放置していくとどうなるか。当然、行政の平等原則を侵したとして「裁量権の逸脱と濫用」の認定をうけ、市長の弁済は必至となる。
 なお、監査委員が一致してこうした付帯意見をつけた重みは、計り知れないほど大きい。なぜか。
 監査委員は、市長と議会がそれぞれ2名を推薦した4名である。いわば行政側に立つ砦であって、通常よほどの不正や瑕疵がある場合を除き、公務員の職務に関連した行政責任については、「行政の裁量権」を壁に阻んできた。こうした性格を持たざるを得ない監査委員が、市長に対して付帯意見をつけたことは異例である。おそらく全国の監査請求事例にもないのではないかと思う。
 計画と現実のかい離、つまり金沢市が犀川ダムで開発した工業用水は、将来も使う予定はない。正確に言えば、すでに金沢市長期計画から除かれ、権利の根拠が無いにもかかわらず、漫然と水利権を保持し、膨大な管理費用を県に支払い続けていることが明らかにされたのである。金沢市の幹部は、中氏の監査請求によって、大慌てで過去の計画書を読み返し、「工業用水の地下水が枯渇や地盤沈下した場合に備えて確保している」「貴重な金沢市民の水利権」(10月30日新聞報道など)と説明してはみたものの、監査委員は納得しなかった。こうした目的を喪失した水利権は河川法上、遊休水利権といわれるものである。

 遊休水利権とは何か。解説しておこう。
 旧建設省の実質的見解を記した「逐条河川法」(昭和41年)は次のように言う。
「水利権を実行しない者は、権利の上に眠る者であるばかりでなく、その遊休水利権が他の緊急かつ有用な水利権の成立の障害となり、河川の有効な利用を妨げる可能性が大である……」と。考えてみれば当たり前のことで、使わない水利権が河川の上流にあれば、それを整理(廃棄)しないで、下流に新しい河川管理の工事などは考えられられない。
 旧建設省の通達(昭和25年)では、遊休水利権は具体的に次のようなことを指す。
 a 水利権設定後所定の期限内に工事の実施認可の申請をしないもの。
 b 水利権設定後所定の期限内に工事に着手しないもの。
 実際には用地買収や地質など工事実施に当たっての様々な条件が出てくることで工事が進められないことも多い。これに反対運動などが起これば、さらに10年、20年と大幅に遅れることもある。「大幅」が「かなり大幅」になっても裁量権の範囲といえるであろう。
 通達は次のようにも言う。
「遊休水利権の期限伸張は原則として認めない。但し最近に開発の見込みありと証せられるもののみにつき関係省と協議の上暫定的に例外措置として短期間(1〜2年)条件附に伸張を認めること。」
 金沢市の工業用水開発が、ここで言う「最近に開発の見込みがありと証されるもの」にあたれば、金沢市の言い分は許されるのだが、金沢市の工業用水の水利権は、昭和61年3月に作られた「金沢市基本計画 21金沢まちづくり」という長期計画から消え、工業用水引用パイプの受け場所になるはずの出雲町の浄水場も既に近くの会社に売却されている。
 私は、金沢市の工業用水の水利権は、昭和61年3月の長期計画策定と、出雲町の浄水場売却によって、遊休水利権として確定したと見る。これ以降は、行政の裁量権の範囲を逸脱し、市長の職権濫用と見る。したがって、監査委員が、地方自治法や地方公務員法による手続き面からしか監査しなかったのは稚拙であったと思う。市長の政策判断=裁量権の範囲については、河川法の水利権についての検討からしか判断できないからである。

 中氏は、河川法からの争点を意識的に提起していないから、監査委員には遊休水利権の法的な資料が提供されなかったのではないか。議論の俎上に上らなかったのは残念であるが、中氏の厳密なデータによって、計画と実態のかい離は委員諸子に強烈に印象づけられたことであろう。賢明な彼のこと、付帯意見がついたことで矛を収めることになると思うが、犀川の河川管理上の問題は残されたままである。

 最近、国土交通省は、河川審議会の答申を受け、河川管理の転換を明確にした。既存ダムを目的転用などで有効活用し、新規ダムをつくらない方針だ。犀川にあてはめると、犀川ダムと内川ダムで開発されたものの使われない水の総量(工業用水、上水)は、辰巳ダム一個分に近い。今回の中氏の提起と監査委員の決定は、河川管理者である石川県にも大きな重石となるはずである。 (2001.10.31)

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