金沢市水道の渇水の歴史

昭和48年の渇水
 過去最大の水飢饉で40余日にわたり節水処置を実施された。
7月3日から雨がなく、7月23日現在で降雨量44ミリ、昨年同期355ミリの12%しかなく、犀川ダム298万トン、内川ダム66万m3の貯水量となった。
 一方、サバク天気のため、水道使用量は20万m3/日をこえた。節水の呼びかけ、農業用水の節水の呼びかけ、小原発電所の発電停止などの対策がとられたが、ついに8月3日から給水制限を始めた。
 17日現在、犀川ダム68万m3、内川ダム22万m3
 21日現在、犀川ダム47万m3、内川ダム19万m3
 貯水池の水が底をつきそうになったが、ようやく23,25,26,30日の雨で水不足は解消した。

昭和53年の渇水

 48年につぐ大きな規模の渇水である。7月6日に始まった真夏日が連続33日を記録。無降水も7月13日から25日間続いた。8月7日から給水制限を始めた。ところが、8日に強い雨があり、9日に給水制限を解除した。

昭和54年の渇水

 空梅雨と暖冬によりダム貯水池が以上に減水した。6月23日から節水対策を開始した。29日の雨で7月2日に給水制限を解除した。6月中の平年の降雨量200.5ミリに対して28日までわずか36ミリ。
 出典:ここまでは、『金沢市水道五十年史』

昭和57年の渇水
 空梅雨による渇水である。県水27,000m3/日、出雲浄水場22,000m3/日を供給しても量ダムの貯水位は下がり続けた。7月9日現在、確保水位に対する貯水量の50%。16日に第一次給水制限。24日現在、両ダムの貯水量は466万m3となり、確保水位に対する貯水量の40%となった。26,28日の雨で、29日給水制限を解除した。
 出典:『金沢市水道五十年史 続編』

 第五次拡張工事で、昭和55年に県水を受水できるようになり、夏場の渇水期の頻繁に発生した水不足から開放された。

平成の渇水
 (工事中!)

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